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§17 | 日本の名城 | |
1.城 概要 | ||
2.人気のある城 | 人気のある城 トップテン | |
3.名城 100 | 日本の名城 100城 | |
4.城 訪問 | ||
地方 | 都道府県 | 名 称 |
1. 北海道 |
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2. 東北 |
宮城県 | 城 |
福島県 | 鶴ヶ城 | |
3. 関東 甲信越 |
栃木県 | 城 |
茨城県 | 城 | |
東京都 | 江戸城(皇居) | |
神奈川県 | 小田原城 | |
山梨県 | 城 | |
長野県 | 松本城、松代城 高島城 | |
4. 中部 |
富山県 | 富山城 |
石川県 | 金沢城( & 兼六園) | |
岐阜県 | 岐阜城 | |
愛知県 | 名古屋城 | |
5. 近畿 |
滋賀県 | 彦根城 |
京都府 | 城 | |
大阪府 | 大阪城 | |
兵庫県 | 姫路城、 明石城 | |
県 | 城 | |
6. 中国 |
県 | 城 |
島根県 | 松江城 | |
県 | 城 | |
県 | 城 | |
7. 四国 |
愛媛県 | 今治城、 松山城 |
高知県 | 城 | |
県 | 城 | |
8. 九州 |
熊本県 | 熊本城 |
沖縄県 | 首里城 |
調査データ お城ファン10万人が実際に訪れた日本全国のお城ランキング TOP 100 (2017年版) (2018.1) |
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順位 | 城 名 | 所在地 | |
1位 | 姫路城(ひめじじょう) | 兵庫県 | |
2位 | 彦根城(ひこねじょう) | 滋賀県 | |
3位 | 松本城(まつもとじょう) | 長野県 | |
4位 | 犬山城(いぬやままじょう) | 愛知県 | |
5位 | 高知城(こうちじょう) | 高知県 | |
6位 | 松江城(まつえじょう) | 島根県 | |
7位 | 松山城(まつやまじょう) | 愛媛県 | |
8位 | 備中松山城(びっちゅうまつやまじょう) | 岡山県 | |
9位 | 竹田城(たけだじょう) | 兵庫県 | |
10位 | 上田城(うえだじょう) | 長野県 | |
11位 | 名古屋城(なごやじょう) | 愛知県 | |
12位 | 岡山城(おかやまじょう) | 岡山県 |
調査データ お城ファン10万人が実際に訪れた日本全国のお城ランキング TOP 100 (2016年版) (2017.12) |
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順位 | 城 名 | 所在地 | |
1位 | 姫路城(ひめじじょう) | 兵庫県 | |
2位 | 大阪城(おおさかじょう) | 大阪県 | |
3位 | 松本城(まつもとじょう) |
長野県 | |
4位 | 彦根城(ひこねじょう) | 滋賀県 | |
5位 | 上田城(うえだじょう) | 長野県 | |
6位 | 備中松山城(びっちゅうまつやまじょう) |
岡山県 | |
7位 | 松江城(まつえじょう) | 島根県 | |
8位 | 金沢城(かなざわじょう) | 石川県 | |
9位 | 犬山城(いぬやままじょう) | 愛知県 | |
10位 | 松山城(まつやまじょう) | 愛媛県 | |
11位 | 小田原城(おだわらじょう) | 神奈川県 | |
12位 | 熊本城(くまもとじょう) | 熊本県 |
調査データ : マイナビニューストリップアドバイザー (2017.08) |
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順位 | 城 名 | 所在地 | |
1位 | 姫路城(ひめじじょう) | 兵庫県 | |
2位 | 松本城(まつもとじょう) | 長野県 | |
3位 | 松山城(まつやまじょう) | 愛媛県 | |
4位 | 備中松山城(びっちゅうまつやまじょう) | 岡山県 | |
5位 | 二条城(にじょうじょう) | 京都府 | |
6位 | 松江城(まつえじょう) | 島根県 | |
7位 | 勝連城跡(かつれんじょう) | 沖縄県 | |
8位 | 今帰仁城跡(なきじんじょう) | 沖縄県 | |
9位 | 熊本城(くまもとじょう) | 熊本県 | |
10位 | 中城城跡(なかぐすくじょう) | 沖縄県 |
4-2 【 東北地方 】 4-2-5 福島県 |
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①《 鶴ヶ城 》 ・ 会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」。 ・ 平成23年(2011)に天守閣の屋根が赤瓦に葺き替えられ、幕末当時の姿を取り戻しました。天守閣は郷土博物館となっており、会津の多彩な歴史資料が展示されています。 ・ 白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣 ・ 今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。 ・ 明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成12年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。 ※ 参考HP ⇒ 鶴ヶ城 |
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【 訪問 】 ・・・ 2024年(令和6年) 6月11日 | ||
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城 案内図 | 全景 (西側から) | 天守最上階から |
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〃 | 全景 (南側から) | 全景 (東側から) |
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〃 | 唱歌「荒城の月」歌詞の城 | 代々 城主の家紋 |
4-3 【 関東地方 】 4-3-6 東京都 |
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①《 江戸城(皇居) 》 * 江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった日本の城である。 ・ 江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。 ・ 江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。 ・ 近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。 ・ 江戸城は扇谷上杉氏の重臣・太田道灌が築いたとされる。 ただし、その当時の江戸城は麹町台地の東端にある平山城で、その規模は非常に小さかった。 1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで関東を支配していた北条家が滅亡。 ・ 徳川家康が関東に移封となり、段階的に江戸城が改修されると、総構えとなり、日本最大の城郭になった。 ・ 現在、江戸城の中心部である本丸・二ノ丸・三ノ丸跡は皇居東御苑として無料開放。 * 長禄元年(1457年)、太田道灌により築城された平山城。 その後、徳川幕府により拡張整備され、石垣のある江戸城になった。 ・ 城跡は国の特別史跡に、外堀跡は国の史跡に指定されている。 家康による初代天守は、慶長12年(1607年)建造、 連立式層塔型五重五階地下一階 二代天守は秀忠により元和9年(1623年)再建、独立式層塔型五重五階地下一階 三代天守は家光により寛永15年(1638年)再建されたが、 明暦の大火で焼失。 四代天守は家綱により明暦3年(1657年)再建に着手されたものの、待ったがかかり天守は再建されず。 * 天守台を除いた高さは、当時の大阪城、名古屋城をしのぎ、日本最大。大地震にも耐えられる構造になっていた。 * 黒々とした屋根と壁を持つ、高さ60メートルの天守閣に金のしゃちほこ。 * 天守台の石垣は再建されたものの、財政難などで、その後、天守は建設されなかった。 ・ 計画図も作成されたが、幕閣の重鎮であった保科正之の「天守は織田信長が岐阜城に築いたのが始まりであって、城の守りには必要ではない」という意見により江戸市街の復興を優先する方針となって中止された。 * 天守が火災後、再建されなかった理由 → ※ 参考HP : 江戸城に「天守」がないのは何故?再建に「待った」がかかった驚きの ・ 江戸城の天守閣、高さ日本一だったことが判明…復元費用は約350億円 ※ 参考HP ⇒ 皇居 - 宮内庁 ・ 皇居 - Wikipedia ・ 桃華楽堂:皇居参観ガイド |
【 皇居 】 ・ 天皇の住居をいう。古くは宮の名でよばれた。宮は御屋(みや)の意味で、御舎(みあらか)は御在所(みありか)の意味。 ・ 天皇の平常時における宮殿・住居である。現在は東京千代田にある。「皇居」の呼称が広く用いられるようになったのは現皇居からである ・ 皇居は江戸城のあったところであり濠に囲まれている。濠は水で満たされ、非常に美しい景色を作っている ・ 皇居は中に入らず一周するだけでもいろいろと面白い。大手門から右回りに行くとまず気象庁があり、内堀通りに出ると正面に東京タワーが見える。 ・ 横には東京駅が見え桜田門をくぐると正面に警視庁、その裏には各省庁がある。坂を登ると国会議事堂が見えてくる。 さらに進むと最高裁判所が現れる。そして真横には国立劇場がある。少し進むと左手にTOKYO FM本社、右手に半蔵門が見える。 左手に近代的な建物を見ながら進むとイギリス大使館が現れる。 交差点があるが直進して、その次の交差点を右に行くと桜の名所の千鳥ヶ淵公園がある。さらに進むと靖国神社がある。 また皇居内は緑があふれ、遠くに見えるビルと合わさり非常に美しい景色が見られる。 《 北の丸公園 》 ・ 皇居外苑の北側にある森林公園。昭和30年代後半に旧近衛連隊等の多くの建物を撒去して整備された。 外周部にはクスノキ、夕ブノキ、スダジイ等の常緑樹を植栽。中央部には芝生地と池が配置され、その周りにヤマモミジ、ケヤキ、コナラ、クヌギなどの落葉樹や 花木が植えられている。紅葉や桜の名所でもあり、行楽シーズンには多くの人で賑わう。敷地内には東京国立近代美術館や科学技術館もあるので 《 皇居東御苑 》 ・ 旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて整備した皇居附属庭園。1968年(昭和43年)から一般に公開されている。 皇居で一番大きな公園には、大手門(東京駅から5分)、平河門(竹橋に近い)、北桔橋門(北の丸公園そば)の3つの門から入れる。 皇室のコレクションを集めた小さな博物館もある。 《 和田倉噴水公園 》 ・ 昭和36年に天皇皇后陛下ご成婚を記念して作られました。その後、平成7年に皇太子殿下のご成婚を記念して、大噴水を再整備し、 新しく造られた落水施設やモ二ュメン卜を流水施設で結んでいます。 ・ 和田倉噴水公園は、 国民公園皇居外苑地区の一角和田倉地区にある公園です。 ・ 昭和36年(1961)天皇陛下(当時皇太子殿下明仁親王)のご成婚を記念して造られ、面積は15,000㎡あります。 ・ その後皇太子殿下のご成婚記念で平成7年(1995)6月噴水公園が再整備され、 新しく水の流れ落ちる施設やモニュメントが造られました。 ・ 噴水の水は、お濠の水を濾過して循環使用しているとのことです。 園内には、レストランがあります。 大噴水の他にも水のモニュメントや天皇陛下御製の歌碑、レストラン等があります。 (~公園ナウ、その他フリー事典等より) 皇居 |
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H28.6.2 撮影 | ||
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巽櫓(たつみやぐら) | ||
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しゃちほこ | ||
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天守石垣 | ||
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天守石垣 | ||
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H28.9.25 皇居内堀 |
【 皇居 -4 】 H30.1.23 撮影 | ||
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東京駅丸ノ内 | 〃 | 皇居前 |
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皇居前 クロマツ | 皇居の正門石橋&新宮殿 | 日比谷濠 |
【皇居-3 】 (H28.1.19 撮影) | ||
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江戸城跡 説明板 | 馬場先 | 〃 |
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皇居広場 クロマツ | 〃 | 〃 |
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白鳥 | 皇居の正門石橋&新宮殿 二重橋 | 〃 |
【皇居-2 】 H25.1.15 撮影 | ||
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皇居 クロマツ | 〃 | 皇居前広場 |
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皇居の正門石橋&新宮殿 奥の橋が二重橋 | ||
【皇居-1】 H24.1.25 撮影 | ||
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皇居 : クロマツ | 〃 | 〃 |
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〃 | 二重橋 | 〃 |
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馬場先濠 | 皇居外苑 |
【皇居-】 H26.4.7 撮影 | ||
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二重橋 | 吹上御苑 | 東宮御所 |
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宮内庁庁舎 | 蓮池濠方面 | 富士見櫓 |
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乾通りの蓮池濠側の桜 | 皇居内の通り ~新宮殿方面 | |
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乾通りの松&桜 | 乾通りの松 | 乾通りの樹木 |
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乾通りの桜 | 石垣と濠 | 富士見多聞 |
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乾通りの並木 | 乾濠付近 | 乾濠 |
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乾濠 | 吹上御所付近 サトザクラ | 〃 もみじ |
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乾門出口付近の シダレザクラ | 〃 大島桜 | 〃 モクレン |
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〃 アカヤシオツツジ | 江戸城 配置図 | |
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ヒメシャガ | ハナモモ | 〃 |
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乾門 | 桃華楽堂 | 皇居東御苑 |
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ハナモモ | 天守台 | 〃 |
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石垣修復 説明板 | 〃 | 〃 |
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説明板 | ボケ | ぎょいこう桜 |
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ぎょいこう桜 | 旧大手門の鯱 | 〃 |
4-3 【 関東地方 】 4-3-7 神奈川県 |
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①《小田原城》 ・ 神奈川県小田原市にあった室町時代から江戸時代にかけての平山城(ひらやまじろ)。戦国時代の北条氏の本城で、江戸時代には小田原藩の藩庁が置かれた。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。 ・ 小田原城のあった場所には平安時代末期、豪族土肥氏一族の小早川遠平(小早川氏の祖)の城館があったといわれる。 ・ 鎌倉時代に土肥一族の小早川氏が築いたものと伝えられている。 ・ 北条氏の本拠地として有名。小田原城は難攻不落の城として知られています。 ・ 現在,城跡には復興天守閣があり,公園となっている。 ・ (平成27年)7月から2016年(平成28年)3月まで耐震工事及び屋根瓦や壁の修復が行われた。 参考HP ⇒小田原城(おだわらじょう)とは - コトバンク |
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【 訪問 】 ・・・ 2020年(令和2年)12月23日 | ||
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天守閣 | 〃 | シャチホコ |
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塀&松 | 松 | 天守からの展望 |
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堀 & 学橋 | 〃 | 〃 |
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〃 | めがね橋 | 〃 |
【 訪問 】 ・・・ 2018年(平成30年)3月17日 | ||
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天守閣 | 〃 | 〃 |
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鯱 | 〃 | |
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銅門~天守閣本面 | 学橋 | 馬出門 |
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〃 | 〃 | 案内図 |
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あかがねもん | 案内図 | 住吉橋 |
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銅門~天守閣 | 伝銅門 | 〃 |
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土塀構造 | 土塀模型 | 白梅 |
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花桃 | ビャクシン | |
4-4-6 長野県 | ||
① 松本城 ・ 松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です ・ 400年の歴史を誇る名城天守閣からは、北アルプスの山々等が一望でき、城入口には日本民俗資料館、松本市立博物館がある。 ・ お城が軍事施設。 ・ 大天守と、泰平の世になって造られた辰巳附檜・月見檜のまとまりは「複合式天守」と呼び、それぞれの時代を象徴しています。この連結複合式天守は松本城だけに見られる特徴的な構造です。 ・ 黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。 ・ ミシュラン観光版でも三ツ星で掲載された実績を持つこの城は、水面に反転する"逆さ松本城"もたいそう美しいと評判です。 * 参考HP : 国宝 松本城 - 松本城をより楽しむ公式ホームページ |
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【 訪問 】 ・・・ 2018年(平成30年)7月14日 | ||
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全景 | 〃 | 〃 |
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内堀のハス | 〃 | スイレン |
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全景 | アップ | 石垣 |
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石垣 | 全景 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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松本市マスコットキャラクター:アルプちゃんと松本城 | 〃 | |
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天守閣より | 〃 | |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | パホーマンス |
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全国有名49城写真 | 〃 | |
② 松代城 ・ 長野県長野市松代町松代にある日本の城跡。 ・ 元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。 ・ 戦国時代には海津城(かいづじょう)と呼ばれていた輪郭式平城で、国の史跡に指定されています。 別名は、貝津城、長野城、茅津城(かやつ)とも言います。 ・ 永禄3年(1560年)、武田信玄は北信濃侵攻のための拠点として、山本勘助に縄張りを命じて海津城を築きました。これが松代城の前身です。 ・ 海津城は北信濃を支配する上で軍事的・政治的に重要な拠点であり、武田氏滅亡後には、織田氏、上杉氏、豊臣氏、徳川氏の各家臣が入城しています。 大阪の陣を経て元和8年(1622年)、真田信之(真田昌幸の長男)がこの地に移封され、明治を迎えるまでの約250年間、この平城は松代藩真田家の居城として機能しました。なお、城の名前は3代藩主 幸道のときに松代城と改称されています。 ・ 江戸時代、真田氏が松代藩主となると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでしたが、 1981(昭和56)年、新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定されました。 ・ 松代城は明治に入って廃城となり建物はなくなりましたが、真田邸とともに国の史跡に指定されています。 * 参考HP : 松代城(長野県長野市)の見どころ・アクセスなど歴史観光ガイド | 攻城団 |
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【 訪問 】 ・・・ 2018年(平成30年)7月14日 | ||
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案内板 | 〃 | 超早の紅葉したモミジ |
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案内板 | 〃 | 太鼓門 |
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太鼓門と 太鼓門前橋 | 石垣 | 〃 |
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説明版 | 〃 | 太鼓門 |
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太鼓門 | 〃 | 〃 |
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太鼓門 | 〃 | 全景 |
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全景 | 〃 | |
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全景 | 〃 | |
④ 高島城 * 高島城の概要 ・ 420年ほど前の1598(慶長3)年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。 「浮島」とも呼ばれた。 ・ 諏訪氏が関東に移った後に入部した豊臣家臣日根野高吉によって築城された近世城郭である。 日根野氏の諏訪支配は十年ほどで短く、その後は再び諏訪氏が復帰して明治に至った。 ・ 高島古城は武田信玄が信濃に侵攻し、武田氏が滅亡するまでの20年間、信濃征服の戦略拠点として重要視された城。 ・ 明治八年(1875)、城の建物全てが破却され、本丸のみが公園として開放された。昭和四十五年(1970)に天守が復興されて現在に至る。 |
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高島城 | 〃 | 模型 |
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最上階からの展望 | 〃 諏訪湖方面 |
4-4 【 中部地方 】 4-4-2 富山県 |
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①《 富山城 》 ・ 天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職と名を改めた。 その後神保氏が3代に渡って居城した。 ・ 富山の地は北陸街道と飛騨街道が交わる越中中央の要衝であり、富山城は16世紀 中ごろ越中東部への進出を図る神保長職により築かれたとされる。 神通川の流れを城の 防御に利用したため、水に浮いたように見え、「浮城」の異名をとった。 ・ 佐々成政、そして富山前田家230年間の居城だった富山の必見スポット。 ・ 戦国時代には佐々成政の居城であり、江戸時代には富山前田家の居城として、富山藩政の中心であった富山城。この城跡が「富山城址公園」として 整備され、市民の憩いの場となっています。公園内に残る石垣や堀からは、当時の威容を見ることができます。また、戦後に建設された天守閣内の 「富山市郷土博物館」では、400年以上にわたる富山城の歴史を紹介しています。 参考HP ⇒ 観光情報-歴史・文化│富山市観光ガイド 富山城 富山城 発見!ニッポン城めぐり |
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【 訪問 】 ・・・ 2015年(平成27年)5月23日 | ||
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富山 | 富山城 案内図 | 富山城 |
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富山城模擬天守(富山市郷土博物館) | 〃 | 〃 |
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富山城 天守閣より | 〃 石垣説明 | 石積み |
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富山城 石垣 | 〃 | 前田正甫公像 |
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富山城 親水公園 | 〃 | 〃 |
4-4-2.《 石川県 》 | ||
①《 金沢城 》 ・ 加賀百万石のシンボルである金沢城は、天正11年(1583年)に前田利家により本格的な建城が行われ、明治2年(1869年)まで加賀藩前田家14代の居城として置かれました。 ・ 江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。 ・ 金沢城は、慶長7年に天守焼失、元和6年には本の丸焼失などの災害がかり、その都度再建がなされたが、天守は再建されず御三階櫓が天守代用に建てられた。(この御三階櫓も後に焼失) 以後、加賀100万石の居城として明治に至る。 ・ 明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模である金沢城。 ・ 見どころ ・・・ 金沢城石川門。 二層の菱櫓と 多門櫓に守られている石川門(櫓門)の枡形、石垣の見事さ。 《 兼六園 》 ・ 百万石前田家の庭園として造られた特別名勝。 石川県金沢市にある日本庭園。 ミシュランガイドで最高ランクの「三つ星」を獲得しています。 ・ 小立野台地の西北端近くにあり、金沢城跡とは百間堀をへだてて相対している。江戸時代の代表的な回遊池泉式庭園で日本三名園の一つ。 延宝年間(1673年~1681年)、五代藩主綱紀の時代に最初の庭が造られ、1822年(文政5年)十二代藩主斉広が竹沢御殿を建てるに際し、拡張整備を行い、 さらに1837年(天保8年)、十三代藩主斉泰が竹沢御殿を壊して霞ガ池を造りほぼ現在の形となった。兼六園の名は奥州白河藩主白河楽翁が宋の 李格非の“洛陽名園記”にちなみ、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つを兼備する名園であるとして命名した。 ・ 水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本三名園の一つ。 ~ (石川県観光情報HP等より) * 参考HP ・ 金沢城と兼六園 見逃せない定番スポット 兼六園めぐり 兼六園観光協会 |
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《 金沢城 & 兼六園 》 : 令和 3年(2021).10月30日 訪問 | ||
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立山連峰 | 金沢駅のシンボル: (金沢城主:前田利家ダルマ。 金沢駅入口 | |
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〃 天井 | 〃 菊シンボル | 駅入口シンボル |
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金沢のシンボル | 金沢名所写真 | 尾崎神社 |
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尾山神社 | 〃 | 〃 |
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金沢城: 五十間長屋 | 金沢城 | 金沢城: 菱櫓 |
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鼠多門橋 & 鼠多門 | 鼠多門 | ) |
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霞ヶ池(かすみがいけ) & 徽軫灯籠(ことじとうろう) | 根上りの松(ねあがりのまつ) | |
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玉泉院丸庭園。 | 〃 | |
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庭園 | 〃 モンキチョウ | 〃 ツワブキ |
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花人形(金沢城主:前田利家)。 | 金沢の縁起物(博物館展示物) | 〃 (〃) |
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紅葉並木 | 浅野川大橋の火の見櫓 | |
《 兼六園 》 : 平成27年(2015).5月25日 訪問 | ||
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兼六園 ・金沢城案内図 : 兼六坂 | モニュメント | 金沢城 |
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兼六園 : 兼六坂入口 | 虹橋 & ツツジ | 虹橋 & カキツバタ |
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ツツジ & 灯篭 | ツツジ & 松 | 松 & 空 |
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カキツバタ : 花見橋付近曲水 | 〃 | 初代姫小松 |
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ツツジ & 灯篭 | 七福神山 | 霞ヶ池(かすみがいけ) |
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根上りの松(ねあがりのまつ) | 徽軫灯籠(ことじとうろう) | 噴水 |
《 金沢城 》 | ||
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金沢城 全景 : 五十間長屋 | 〃 | 〃 |
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石垣 | 門 | 内堀 |
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菱櫓 | 屋根構造 | 土産店 |
《 兼六園 》 訪問 : 平成21年(2009).5月9日 |
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兼六園 : 七福神山(しちふくじんやま) | 根上りの松(ねあがりのまつ) | 霞ヶ池(かすみがいけ) |
カキツバタ | カキツバタ | |
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霞ヶ池(かすみがいけ) 〃 明治紀念之標(めいじきねんのひょう):日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像。 |
4-4-3.岐阜県 ①《 岐阜城 》 ・ 金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。 岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした ・ 永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、 「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。 ・ 天正4年(1576年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。 ・ 楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。 ・ 1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は 加納城に移されました。 ・ 現在の城は、昭和31年に復興され、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。 ・ 城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。 参考HP ・・・ 岐阜城|岐阜観光コンベンション協会 * 岐阜城 - Wikipedia |
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訪問:平成26年(2014).11月8日 | ||
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岐阜城 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 ロープウエイより | 時計文字盤 |
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〃 | 〃 さざれ石 | 〃 |
② 【 大垣城 】 * 全国的にも珍しい4層の天守を持ち、「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれて いる大垣城。 慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは西軍・石田三成の本拠地にもなり、本戦部隊が関ケ原に移動した後も壮絶な攻防戦が繰り広げられました。 * 天下分け目の関ヶ原合戦のおり、西軍・石田三成の本拠地となる。関ヶ原の戦後、石川、松平氏などを経て、寛永12年(1635)戸田氏鉄が入城し、以後戸田家11代の長きにわたり善政がしかれた。現在の天守閣は昭和34年に再建されたもので、城を囲んで公園、遊園地等があり、城下町大垣のシンボルとして憩いの場となっている。 * 大垣城は宮川安定による天文4年(1535)の創建とされる。豊臣秀吉の家臣,伊藤祐盛によって1596 年(慶長元)に完成したと伝えられる天守は,四重四階建て総塗りごめ様式を取り入れた優美な城として名高く,以来400余年,歴史上貴重な存在となり,昭和11年国宝に指定された。 * その後,昭和20年7月29日戦災で惜しくも焼失したが,再建の気運が高まり,昭和34年4月,国宝時の天守が再現され,郷土博物館として親しまれてきた。 * また,昭和60年4月には,戸田藩主入城350年を記念して隅櫓や土塀の一部が修景整備された。平成13年9月,大垣博開催後内部改修され,常設展示となる。平成22年には天守および乾隅櫓の改修工事が行われ,戦災前の外観に復元された。 (~フリー事典、大垣観光HP等より) * 天守は、四重四階建て総塗りごめ様式で、大変優美な城として名高く、その姿から、麋城(びじょう)、巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれています。 * 関ヶ原合戦の際には、西軍を率いた石田三成の本拠地となるなど、歴史上からも貴重な城でした。その後、尼崎より戸田氏鉄(とだうじかね)が入城し、戸田十万石の居城となりました。天守は、戦前まで国宝でしたが、昭和20年7月の空襲により焼失しました。 ~ (岐阜県観光情報HP、 フリー事典等より) 参考HP ・・・* 大垣城 - Wikipedia * 大垣城 [大垣市中心部-大垣駅-レジャー、趣味(その他)] - Yahoo!ロコ * 大垣城|観光 - お城めぐりFAN |
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訪問:平成26年(2014).11月8日 | ||
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大垣城 & 戸田氏鉄像 | 大垣城 | 〃 |
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大垣城 | 〃 | 大垣城最上階からの展望 |
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〃 | 模型 | |
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大垣城 | 説明図 ~ 群団編成 | 説明図 ~ 陣形 |
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説明図 ~ 兵器 | 説明図 ~ 火縄銃 |
4-4-8. 愛知県 ① 《 名古屋城 》 ・ 徳川家康が江戸幕府の安泰のために、東海道の要所として、また大坂方への備えとして築城。 ・ その後、明治維新までの約250年間、天守閣の屋根を飾る金のシャチホコとともに、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の 居城として栄えた。 ・ 慶長14年、徳川家康は9男義直を清洲城に封じるが、時に大坂城の豊臣秀頼攻略を考える家康は、濃尾平野の要地に 大規模な城郭を 築城することを考えていた。 ・ 天守閣、本丸御殿ともに戦災で焼失したが、昭和34年に天守閣が再建されたほか、現在、本丸御殿の復元工事が 進んでおり、2013年5月から 「玄関・表書院」の公開が始まった。 ・ 2018年にはすべて完成予定。 ・ 1612年(慶長17年)、徳川家康の子義直の居城として築城。戦災で焼失したが1959年(昭和34年)、金のシャチをいただく 五層の大天守閣 (約48m)と小天守閣(約24m)が再建された。 ・ 大天守閣は重要文化財の障壁画・歴史資料を展示、3階から5階にかけて「実物大金鯱模型」「石引き体験」 「駕篭乗り体験」、 光・音による「城内、城下の暮らし」を うかがい知ることができ、誰もが楽しみながら名古屋城と名古屋の歴史を学ぶことができる。 参考HP ・・・ * 名古屋城 - Wikipedia * 名古屋城公式ウェブサイト |
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訪問:令和2年(2020).2月8日 | ||
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案内案 | 矢穴石 | 加藤清正像 |
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シャチホコ | 天守閣(左)&櫓(右) | 天守閣 |
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本丸御殿 内部 | 〃 上段の間 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 小組格天井 | 上洛殿 彫刻欄間 |
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〃 欄間 ~ 花鳥風月 | 〃 | 〃 |
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〃 〃 | 〃 | |
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全景 | 天守閣 | |
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訪問:平成26年(2014).11月8、10日 | ||
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オランダ風車 | 名古屋城 | |
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名古屋城 | 〃 | 〃 |
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名古屋城 | 名古屋城 内堀 | 天守閣 礎石 |
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名古屋城 | 〃 | 〃 金鯱鉾 |
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金鯱鉾 | 掘内の鹿 | 金鯱鉾 |
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城からの展望 | 〃 | 〃 |
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城からの展望 ~ 名古屋駅前のビル群 | PR | 大阪城 PR |
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姫路城 PR | 金鯱鉾 | 菊人形 |
平成17年(2005).7月13-14日 訪問 | ||
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清正公 | 名古屋城 | 〃 |
4-5. 近畿地方 | ||
4-5-2.滋賀県 ① 《 彦根城 》 ・ 井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。 佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。 月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。 明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。 ・ 彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、 と言われています。 ・ 国指定の特別史跡。 ・ 琵琶湖畔の小高い独立丘陵である彦根山(金亀山、標高136m)を中心につくられ、江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が 居城とした城である。 ・ 滋賀県彦根市にあった平山城(ひらやまじろ)。 ・ 1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで活躍した徳川四天王の一人の井伊直政は、戦後、敵将石田三成の居城の佐和山城(彦根市)と 近江国北東部の領地を与えられ、 彦根藩の初代藩主となった。 ・ 天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成されています。 ・ 天秤櫓(てんびんやぐら:重要文化財) ・・・ 廊下橋を中心に左右対称に櫓が並び立つ姿が、天秤に似ていることからこの名が付きました。 参考HP ・・・ * 彦根城 - Wikipedia * 彦根城 滋賀県観光情報 * 5分でわかる国宝『彦根城』の歴史と見どころ - NAVER まとめ * 彦根城|観光見どころ - お城めぐりFAN |
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【 訪問 】 ・・・ 平成27年 9月日22(火) | ||
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天守 | 案内図 | 廊下橋 $ 天秤櫓 |
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天守 東面 | 〃 | 〃 |
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天守 | 天守と附櫓(国宝) | |
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天守最上階より | 〃 | 〃 |
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〃 | ヒコヤン | |
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天守内の「弓矢、鉄砲」窓。 | 玄宮園の庭園 | 〃 |
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玄宮園の庭園 | 〃 | 〃 ヒガンバナ |
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〃 二季咲桜 | 〃 | |
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米原の夕焼け | 〃 | |
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〃 | 〃 |
4-5-4.大阪府 | ||
① 《 大阪城 》 ・ 別称は錦城(きんじょう) ・ 大阪城は、大阪上町台地の北端に1583年(天正11年)豊臣秀吉が築城、当時の城は埋没している。後に1614年大阪冬の陣、大阪夏の陣で落城し豊臣氏が滅びることとなった城である。 ・ 天守閣の高さは、土台が15.2m、天守が37.5mの総高さは52.7mであるから現在のマンションでいうと約17階建の建物に相当する。一般的に20階建以上で「超高層マンション」と言われるので、現在の基準でも高い建造物に分類される。 ・ 随所に見られる監視、防御をするための造り。 ・ 豊臣秀吉が築いた天守閣は1615年の大阪夏の陣で焼失。 江戸幕府の命令で1626年に2代目の天守閣が完成。 ・ (大阪城全体の構造は江戸時代のもの)1665年落雷によって天守閣焼失。それから260年間天守閣はなかった。 ・ 現在の大阪城天守閣が完成したのは昭和6年のことであった。 ・ 豊臣時代、そして寛文五年(1665)落雷により焼失した徳川時代に続く三代目の天守閣である。 ・ 大阪のシンボルでありながら明治以降、全域が軍施設となっていた大阪城の中心に豊臣時代の天守閣を再建し一部を公園として広く一般市民に開放する事は、ゆとりある近代都市としての大阪の将来構想に欠かせないと考えた結果である。 ・ 昭和3(1931)年7月、大阪市は昭和天皇即位の御大礼を記念する事業として天守閣の復興を含む大阪城の公園化事業を発表。市民よりの寄付金を得て開始された建設工事は昭和6(1931)年11月7日に竣工した。 ・ 再建から60有余年を経た平成7年12月から16ヶ月をかけて行われた「平成の大改修」で外観のみならず、最新の耐震性、耐久性を備えた建造物に生まれ変わった大阪城天守閣であるが、平成9年9月には文化財保護法に基づく国の「登録有形文化財」に指定されている。 ・ 別称は錦城(きんじょう) ・ 二の丸南側には一番櫓から七番櫓まで、7基の隅櫓が建てられていました。 そのうち現存するのは一番櫓と六番櫓のみで、重要文化財に指定されています。 参考HP ・・・ * 大阪城|観光見どころ - お城めぐりFAN * 大坂城 - Wikipedia |
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訪問 : R 1.(2019).12. 1 | ||
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大阪城 千貫櫓 | 〃 | 内堀 |
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〃 | 千貫櫓 | 〃 |
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大阪城 天守閣 | 〃 | 〃 |
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大阪城 天守閣 | 観光船 | 内堀&唐松並木 |
訪問 : H26.(2014).2.17 | ||
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大阪城公園駅 → 天守閣 | 〃 : 照明灯 | 大阪城 天守閣 |
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大阪城公園駅 → 天守閣 | 〃 | 〃 |
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石置き場 | 大阪城 天守閣 | スイセン |
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銀明水井戸 | 〃 | 桜門 |
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内堀(乾櫓) | 南内堀 | 大阪城公園 : 森の宮駅側 |
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大阪城公園 : 森の宮駅側 噴水(虹) | 〃 | 〃 大阪城&噴水&花 |
《 大阪城 》 H26.(2012).12.07 撮影 : | ||
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大阪城公園駅 | 〃 | 〃 |
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豊国神社 | 〃 | 〃 |
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大阪城 天守閣 | 〃 | 〃 |
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大阪城 天守閣 | 内堀 | 模型 |
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大阪城 天守閣 南面 | 〃 | 金名水井戸 |
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大阪城 天守閣 | 大阪城 天守閣 最上階より | 〃 |
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大阪城 天守閣 最上階より | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 | 案内図 |
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展示品 | 〃 | 〃 |
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大阪城 | 大手門 | 〃 |
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大阪城 | 案内図 | 〃 |
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大阪城内の展示物 | 〃 | 〃 |
4-5-5.兵庫県 | ||
① 《 姫路城 》 ・ 国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。 平山城。 ・ シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。 ・ 白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。 ・ 日本最大の現存天守である姫路城は、望楼型5重6階地下1階の大天守と、3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた、連立式の天守です。 ・ 白漆喰で塗られた白亜の外壁と屋根や破風の構成美の上、見る方向により異なった趣となる連立式となっています。 ・ 大天守・小天守・渡櫓など8棟が「国宝」に指定されており、1993年12月にはユネスコ世界遺産にも登録されました。 ・ 今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもの。 ・ 400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。。 ・ 天を舞う白鷺のように見える姫路城は別名白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)ともいわれ、 建築技術の粋を極めた傑作として、1993年12月法隆寺とともに 日本で初の世界文化遺産に指定されました。 ・ 現在の姫路城は、徳川家康の次女督姫を妻とする池田輝政により建てられたもので、関ヶ原の戦いの翌年にあたる慶長6年(1601年)から8年の歳月が 費やされました。 ・ それまで羽柴秀吉がその20年前に建てた三層の姫路城が建っていましたがこの城を取り壊し、5層7階の天守となりました。 ・ 姫路城天守は、国宝姫路城大天守保存修理工事(平成の修理)を終え、平成27年3月 27日(金)から、天守群と備前丸などのエリアが一般公開された。 ・ 最初の築城は、1346年、赤松貞範とする説が有力ですが、現在の 姫路城とは大違いで、館があった程度の小規模なものでした。。 ・ その後、御着城主・小寺政職の家臣となった黒田重隆・黒田職隆が姫路城主となりますが、黒田官兵衛の頃の姫路城も砦程度の規模でした。 ・ やがて羽柴秀吉が中国地方へ侵攻してくると、交通の要所であもある姫路城の重要度は高まり、本格的な総構えへと拡張されていきます。 ・ 1600年、関ヶ原の戦いのあと、池田輝政が52万石で姫路城主となると、徳川家康の命もあり本格的な拠点へと改修されて現在の姫路城へと発展。 * 5層6階、地下1階。 築年数:約400年。 大天守:約2,400㎡。 大天守高さ:31.5m。天守台:15m。 姫山:46m。 * 焼夷弾直撃も不発にて現存した奇跡の城!! * 1993年(平成5年)世界文化遺産に登録!! * 白鷺城: 壁や屋根瓦の継ぎ目を白色の漆喰で覆っているため、真っ白。 (~フリー事典等より) 参考HP ・・・ * 姫路城HP 公式 * 姫路城HP解説 *姫路市|姫路城公式ホームページ(姫路城大図鑑) 姫路城の歴史と見どころ【国宝・世界遺産】~焼夷弾直撃も不発にて現存した奇跡の城 |
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【 訪問 】 ・・・ 2023年 令和5年 2月25(土) | ||
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駅前通りから姫路城 天守閣。 望楼型5重6階地下1階の大天守と、3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた、連立式の天守。 | ||
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菱の門 | 備前丸 | 〃 |
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十字の瓦紋: キリシタンの黒田官兵ゆかりの地。 | ||
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西の丸 | 〃 | |
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シャチホコ | 〃 | 扇勾配 |
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西の丸庭園にて、天守閣 全景 | 〃 | 〃 |
【 訪問 】 ・・・ 2011年 平成28年11月19(土) | ||
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駅前通りから姫路城 天守閣 | 〃 | 〃 |
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街灯 | 入口より | 標識 |
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全景 | 〃 | 〃 |
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庭 | 大天守 | 〃 |
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広場より | 小天守 | 小天守&大天守 |
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紅葉 | 鯱鉾 | 紋章 風水の防火 |
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石垣 | 〃 | 〃 |
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望楼型5重6階地下1階の大天守と、3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた、連立式の天守。 | ||
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天守閣内部 模型 | 天守閣内部最上階からの展望 | 天守閣内部 |
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井戸 | 漆喰修復作業 | 記念写真用 |
《 姫路城 好古園 》 | ||
【 訪問 】 ・・・ 2023年 令和5年 2月25(土) | ||
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庭園 | 〃 | 梅 |
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姫路市動物園 | キリン | 姫路護国神社 |
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播磨の国総社 | 〃 | モニュメント |
【 訪問 】 ・・・ 2011年 平成28年11月19(土) | ||
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入口 | ツワブキ | 中部幾次郎像 |
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〃 | フヨウ | モミジ |
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〃 | 庭園 | |
4-5-5.兵庫県 ② 《 明石城 》 ・ 兵庫県明石市明石公園にあった平山城(ひらやまじろ)。 江戸時代に小笠原忠真(ただざね)が築城。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。 ・ 明石城は、旧明石藩の政庁 と藩主の居所が置かれた。 別名、喜春城(きはるじょう、きしゅん-)、錦江城(きんこう じょう)とも呼ばれる。 ・ 1619(元和5)年に小笠原忠真(おがさわらただざね)が起工した新城です。それまでは、池田氏が播磨一国を領有していましたが、何人かの大名に分割され、交通の要衝(ようしょう)である明石にも新藩が作られたのです。 ・ 明石城は1869年(明治2)に廃城となったが、巽櫓・坤櫓(ともに重要文化財)ほか天守台・石垣・堀などが現存し、県立明石公園として公開されている。阪神淡路大震災で石垣・櫓などが破損したが、修復された。 ・ 高石垣上に建つ重要文化財2基の三層櫓と、両櫓を結ぶ復元整備された白壁の長塀。 左端「坤櫓(ひつじさるやぐら)」、右端「巽櫓(たつみやぐら)」2基が現存。 (~フリー事典等より) 参考HP ・・・ * 兵庫県内の城跡 明石城(明石市) - ひょうご歴史ステーション |
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【 訪問 】 ・・・ 平成28年11月21(月) | ||
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菊の明石城 | 〃 | 巽櫓 |
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天守台、石垣、堀、曲輪跡(東の丸・二の丸・本丸・稲荷曲輪)。 重要文化財の坤櫓と巽櫓 | ||
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天守台 | 天守閣跡地~本丸 | 〃 |
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たつみ矢倉 | 覗き穴 | 〃 |
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4-6: 中国地方 | |||
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4-6-1.《 島根県 》 | |||
① 《 松江城(まつえじょう) 》 ・ 松江城は現存12天守のひとつで、山陰地方で唯一の現存天守です。関ケ原の戦いの功績により、出雲を与えられた堀尾吉晴によって築かれました。高さ30メートル、5層6階の天守は桃山様式の天守として築城当時のままの姿を残しています。 ・ 松江城は宍道湖の湖岸に建てられており、日本三大湖城のひとつでもあります。築城当時からいまも残る松江城を囲む約3.7kmの堀川を小舟でめぐる「堀川めぐり」も楽しめます。 ・ 2015年に天守が国宝に指定されました。 ・ 参考HP ・・・* 松江城 |
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2022(R4).12.3(土) 訪問 | ||
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松江城 天守閣 | 〃 | 〃 |
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〃 | 〃 石垣 | 〃 |
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しゃちほこ(鯱) | 武士 | 〃 |
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松江城 | 築城主: 堀尾吉晴 | |
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城最上階より、大山 | 12月桜 | 公園 |
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富士山上空 | 出雲空港 |
4-7: 四国地方 | |||
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4-7-1.《 愛媛県 》 | |||
① 《 今治城(いまばりじょう) 》 ・ 関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。 別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。 ・ 慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城された海岸平城。昭和55年10月に再建された天守は、今治藩ゆかりの品を展示する 歴史資料館となっている。 ・ 天守だけの小さなお城。 【 松山 】 ・ 四国最大の都市が松山。中心部には松山城が聳え、今も市電が走っている。正岡子規をはじめ多くの俳人を生んだ町でもあり、 夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台にもなった。道後温泉は3000年の歴史を誇る古湯で、温泉街の中心に豪壮な「道後温泉本館」が建つ。 今治は本州と四国を結ぶしまなみ海道の玄関口で、今治藩20万石の城下町として栄えた町。 ・ 参考HP ・・・* 今治城 - Wikipedia * 今治城 今治城について 今治市 文化振興課 |
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2005(H17).6.4 訪問 (しまなみ海道100Kウルトラ遠足マラソン参加) | |||
1.岡山城 | 2.福山城 | 3.今治城 | 4.松山、道後温泉駅にて坊ちゃん列車 |
② 《 松山城 》 ・ 松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城。 ・ 国指定史跡。 日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。松山平野の中央部に位置する勝山(標高132m)に築城、壮大な石垣の上に天守、小天守のほか多数の櫓(やぐら)がそびえる。 ・ 旧松山藩の城。 慶長7年(1602)から同19年にかけて加藤嘉明が築城。蒲生氏に続いて松平(久松)氏が在城。 ・ 中世から戦略上の拠点として知られ,1600年小堀遠州が改修。 ・ 天守の紋章は、江戸幕府の将軍、徳川家とゆかりのある「丸に三つ葉葵」。 ・ 天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で焼失した後、1854年に再建落成されたのが、現在の松山城天守。 ・ |
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《 松山城 》 ~No.1 : 訪問 平成31年(2019)2月10日 (愛媛マラソン 参加) | ||
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松山城 天守閣 | 天守・小天守 | 城山公園より天守閣 |
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築城=加藤嘉明像 | 登山道 (リフト乗り場の先) | 〃 |
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東雲神社 | 城山山頂駅前広場 | 城跡地図 |
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大手門跡から本丸方面 | 〃 | 〃 |
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本丸 | 陰門 | 松山城のマスコット:義明君 |
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本丸 | 〃 | |
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筋鉄門東堀 | 筋鉄門 | 小天守 |
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天守 | 穴蔵 | 天守閣最上階 展望案内 |
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〃 | 〃 | 〃 北東方向 |
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本丸 | 〃 | |
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〃 | 〃 | 愛媛マラソン記念 |
4-8 九州地方 | ||
4-8-4.熊本県 | ||
《 熊本城 》 ・ 銀杏城の愛称で親しまれている熊本城は、加藤清正が慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、7年の歳月をかけて同12年(1607)に完成した城である。城域は東西1.6km、南北1.2km、周囲5.3km、城域約76万平方m。北から西へは坪井川を引いて堀とし、東と南は数層の石垣をめぐらし、その複雑で堅固な構造は、清正の実戦体験から生み出されたものといわれている。 ・ 日本三名城の一つ熊本城は別名銀杏城とも呼ばれ、名将加藤清正によって慶長6年(1601)に着工され、7年の歳月をかけ築城されました。城郭の広さは約98万平方メートル、周囲約9キロメートル(築城当時)、そのなかに天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えで、美しい曲線で築かれた石垣や自然の地形を利用した独特の築城技術が生かされています。勝海舟は「築制他城の比にあらず。外周最大なり。郭城高く、堅牢おもうべし。」と感嘆しました。 ・ 現在の天守閣は昭和35年、清正公350年祭と市制70周年を記念して熊本市によって再建されたものです。 ( ~ 熊本城観光ナビHP等より) 参考HP ・・・* 熊本城公式ホームページ * 熊本城 - Wikipedia * 熊本城?熊本観光名所めぐり? ・ 熊本城の特徴とも言える石垣は、下部はゆるやかな傾斜で、上部に向かうほど急な角度になる独特の造りになっていて、城に侵入しようとした敵の武者を返してしまうことから「武者返し(むしゃがえし)」という異名をもつようになりました。 ・ 天守閣の南東側に位置する本丸御殿は、藩主の居間や対面所(会見の場)、台所など多用な用途をもつ複数の殿舎群で構成されていました。 ・ 平成20年に復元され、国内でも珍しい地下通路を有し、煌びやかな「昭君之間(しょうくんのま)」等を見学することができます。 * 熊本地震の影響 ・ 2016年4月14日発生の地震の被害は石垣の一部が6箇所の崩落のほかに、石垣石の落下が複数個所で確認、重要文化財の長塀が長さ100 メートルにわたって倒壊。天守・櫓の屋根瓦や鯱も落下と報じた。 ・ 東十八間櫓と北十八間櫓も倒壊。 ・ 天守閣復旧整備工事の完了は、平成30年9月28日。 ・ 熊本城全体の復旧工事は20年はかかると言われていて、費用も600億円以上かかるそうです。 ・ 天守閣は、屋根瓦が落ちて痛々しい姿です。天守閣の周辺など、敷地全体の3割くらいは工事関係者以外、立ち入りが禁止されています。 ・ 現在、本丸には入れませんが、二の丸広場や加藤神社から天守閣や櫓等の見学はできる。 ・ 二の丸広場、加藤神社、県立美術館、その他周辺エリア(復興見学コース) ・ 熊本城は地震でどうなったか? 比較写真で分かる深刻な被害 ( ~ 熊本城観光ナビHP等より) |
《 熊本城 》 ~No.2 : 訪問 平成30年(2018)2月17日 | ||
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〃 ~ さざれ石 | 震災被害例 ~ 城壁 | 再建 |
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案内図 | 二の丸付近から天守閣方面 | 戌亥櫓(いぬいやぐら) |
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戌亥櫓 土台 | 〃 | 戌亥櫓全景 |
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戌亥櫓周辺全景 | 補修工事中の小天守・大天守 | |
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〃 | 〃 | 崩落石垣の観音像絵 |
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〃 | 〃 | 末申櫓 |
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高橋公園の横井小楠と維新群像 ~ 坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久 |
西南戦争の政府軍熊本鎮台(くまもとちんだい) 司令長官だった谷干城(たにたてき)の銅像 |
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馬具櫓 | ||
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加藤清正 | クマモン | 宇土櫓 |
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宇土櫓 | 天守閣修復工事 | カモ |
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熊本市現代美術館 熊本城特撮美術展 | 〃 | 〃 |
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〃 | 夜の長堀 | 〃 |
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平御櫓 | 馬具櫓 | クマモン |
No.1: 2008.(H20).11.14 訪問 | ||
熊本城 | 〃 | 〃 |
熊本城 | 熊本市 藤崎台のクスノキ巨樹 | 〃 |
4-8-8.沖縄県 | ||
① 【 首里城 】 ・ 首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものである。 ・ 1429年から1879年まで琉球王国の国王の居城でした。王城は、琉球の政治、外交、文化の中心として栄え続けました。発掘調査の結果、首里城は14世紀の末頃までには築かれていたことが明らかになっています。首里城は、地形を巧みに活用して内郭と外郭に分けて築かれています。城壁は琉球石灰岩の切石で築かれ、その総延長は約1,080mです。城壁の高さは、6~15mにもなり、その厚さはおよそ3mです。歓会門が大手門(正門)で西側城壁にあります。 城内には正殿・北殿・南殿などの重要な建物が御庭(うなー)を囲んであり、正殿は、1925年に指定されました。しかし、これらの建物群は、沖縄戦ですべて焼失し、1972年から復元整備が実施されています。 沖縄県教育委員会。 【 今帰仁城跡 】 ・ 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)は、三山時代に北山国王の居城で北山の拠城でした。また、中国や東南アジアとの貿易も盛んで発掘調査により陶磁器などが出土しています。1416年に中山王の尚巴志(しょうはし)によって三山を統一されてからは1665年まで琉球王府から派遣された監守の居城だったと伝えられています。石垣は「野面積み」といわれ最も古い造り方と言われています。1月中旬から2月初めまで緋寒桜(ヒカンザクラ)がきれいに咲きます。 ( ~ 沖縄観光HP等より) ・ 参考HP ・・・ *首里城 - Wikipedia * 首里城公園 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城 * 「首里城」沖縄観光の定番、その神髄に迫る たびらい沖縄 |
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2005.(H17).2.25 - 27 訪問 | ||
2004.(H16).12.3 - 5 訪問 | ||
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首里城 | 〃 | 〃 |
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〃 | 守礼門 | 〃 |
【 訪問 】 ・・・ 平成年 月日() | ||