W.都 内 の 富 士 塚 §-3 《 (その他 4m以下の富士塚) 》 |
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1. | 安養富士 | 11. | 上落合富士 |
2. | 平井富士 | 12. | 西大久保富士 |
3. | 逆井富士 | 13. | 新宿富士 |
4. | 亀戸富士 | 14. | 羽田富士 |
5. | 下鎌田富士 | 15. | |
6. | 上鎌田富士(篠崎富士) | 16. | |
7. | 神田柳森富士 | 17. | |
8. | 白髭富士 | 18. | |
9. | 南千住富士 | 19. | |
10 | 千住宮元富士 | 20. | |
V.都 内 の 富 士 塚 §-2 : 6m程度の有名な富士塚 |
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U.都 内 の 富 士 塚 §-1 :10m程度の有名な富士塚、文化財の富士塚 (都内の富士塚 豊島長崎富士 江古田富士 下谷坂本富士 千駄ヶ谷富士 品川富士 等 ) |
§-3 (その他の富士塚)【 都区内での約4m以下の現存する富士塚 】 | ||||||
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山 名 | 高さ 概算 m |
築 造 地 | 所 在 地 | 築 造 年 | 備 考 | |
1. | 安養富士 | 2.5 2.5 |
安養寺 | 明治17(1884) | 安養寺、光徳保育園の中。 | |
2. | 平井富士 | 1.5 1.5 |
諏訪神社 | 江戸川区平井 6-17−36 |
大正7(1918) | 平井保育園前。 |
3. | 逆井富士 | 4 4 |
淺間神社 | 江戸川区平井 3-1 |
明治17(1884)、 1996改築 | 周囲は駐車場。 |
4. | 亀戸富士 (本所富士) |
4 2 |
亀戸神社跡地 | 江東区亀戸 9-15-7 | 1661〜1672年築造、2,001年整備 | 亀戸浅間神社跡地 公園内。 |
5. | 下鎌田富士 | 3 3 |
豊田神社 | 江戸川区東瑞江 2-5−3 | 大正5(1916) 、1924年再築 | 豊田神社内。 |
6. | 上鎌田富士 (篠崎富士) |
1.5 1.5 |
天祖神社 | 江戸川区南篠崎町 2−120 | 大正14(1925) | 天祖神社内。 |
8. | 神田柳森富士 | 3 -3 |
柳森神社 | 千代田区神田須田町 2−25 | 昭和5(1930)再築 | 柳森神社内。 |
9. | 白髭富士 | 4 4 |
石浜神社 | 荒川区南千住 3-28-58 | 1,990代 再築 | 石浜神社 境内 |
10. | 南千住富士 | 4 4 |
千住神社 | 荒川区南千住 6-60−1 | 大正12(1923) 再築 | 天王素盞雄神社 境内 |
11・ | 千住宮元富士 | 4 4 |
千住神社 | 足立区千住宮元町 24-1 | 大正12年(1923年)築造、 1936年再築。 |
千住神社 境内 |
12. | 上落合富士 | 4 4 |
月見岡八幡神社 | 新宿区上落合 1-29-16 | 月見岡八幡神社境内 | |
13. | 西大久保富士 | 2 2 |
鬼王神社 | 新宿区歌舞伎町2-17-5 | 1,930年(昭和5年)築造 1,968年(昭和43年)分離 |
鬼王神社 境内 |
14. | 新宿富士 | 1.5 1.5 |
花園神社 | 新宿区新宿 5-17-3 | 昭和3(1928)築造。 1,967年移築。 |
花園神社 境内 |
15. | 羽田富士 | 3 3 |
羽田品川神社 | 大田区本羽田 3-9-12 | 明治初年(1,868)築造、1,879年移築。 | 羽田神社 境内 |
※ 高さ概算 上欄=周辺からの高さ、 下段=富士塚自体の高さ。
※ 記載内容は、インターネット上の情報を主に、現地の案内板の説明文、「富士見十三州 富士塚調査報告書」を参考しました。
富士塚の高さ等は、現地で確認した概算値です。
・ 都内の有名な富士塚巡りは一通り済んでいますので、今度は低目の富士塚巡りをしたいと思い、天気の良い日に集中的に行ってみました。
・ 都区内のJRおよび東京メトロ、都営地下鉄、都電各線1日フリー乗車券の「東京フリーキップ」1,580円を購入(緑の窓口の営業開始時間はほとんどが8時過ぎのため、前日購入)効率的に富士塚巡りを行いました。
1.安養富士 (あんようふじ)
・ 所在地= 江戸川区平井 6-53−1 安養寺、光徳保育園の中。
⇒ JR総武線 平井駅 北東≒800m。
・ 築造=明治17(1884)、鐘つき堂は昭和42年移築、 昭和60年改築。
境内の弁天池を拡張した時の土を盛り上げて築いた。 当時は5m。
昭和60年に塚の一部を改造して、弘法大師の石像が納められた。
・ 塚の概算高さ≒2.5m。 周辺からの高さ≒2.5m
・ 溶岩製。
・ JR総武線 平井駅の北東約800mの地点、荒川のそばにある富士塚。
《 安養富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ 都区内のJRおよび東京メトロ、都営地下鉄、都電各線1日フリー乗車券の「東京フリーキップ」1,580円を購入(緑の窓口の営業開始時間はほとんどが8時過ぎのため、前日購入)、早朝のスカイツリーを撮影後に、9個所の富士塚を効率的に巡りました。
・ 江戸川区には特に多く、「富士塚銀座」と呼ばれるくらい多いので、順番として江戸川区の富士塚から訪問することにしました。
・ スカイツリー巡りの後、錦糸町からJR総武線に乗車、平井駅で下車、北口を出て、真っ直ぐ北西へ100m程進み、平井駅入口交差点で蔵前橋通りを右折、平井大橋西詰めで左折、約100先の平井小学校前で、道なりに右折、約200m先の平井6丁目交番から約100m先右側にある“安養寺”に到着。
・ 山門を潜った先は、光徳保育園で、左側に“安養富士塚”がありました。
・ 写真の通り綺麗に整備された緩い石段になってました。
・ 富士塚の中がまるでカマクラのようにくり抜かれて、そこに弘法大師尊像の石像が鎮座してました。 非常に珍しい創りに感心。
・ 富士塚としては、小じんまりしており、移築・改築されたため本来の富士塚らしさは欠けてますが、庶民的な雰囲気が残っていました。
安養寺入口 | 寺門 | 安養寺 |
お地蔵さん | 安養富士塚 | 〃 |
安養富士塚 | 弘法大師尊像 石像 | 〃 |
2.平井富士 (ひらいふじ)
・ 所在地= 江戸川区平井 6-17−36 平井保育園前。
⇒ JR総武線 平井駅 北方≒200m。
・ 築造 = 1920年(大正9年)築造。
・ 溶岩製。
・ 塚の概算高さ≒1.5m。 周辺からの高さ≒1.5m
《 平井富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ 安養寺の“安養富士塚”から南西へ約500mの場所にあるので、地図を見ながら諏訪神社に到着。
・ 諏訪神社は、享保年間(1716年〜1736年)の創建。
・ “平井の富士塚”は、境内にありました。
・ 五合目に小御嶽神社が祀られていました。
・ 案内板に書かれている通り、登山道は、二つに分かれ、一本は頂上の石祠へ、他の一本は小御嶽神社の石祠へ通じていました。
・ 富士塚の小ささとは対照的に、拝殿の前に、大きな狛犬が睨みを利かせていました。
諏訪神社 | 〃 | 〃 |
諏訪神社 案内板 | “平井の富士塚” 〃 | “平井の富士塚”入口 |
“平井の富士塚” | 中腹にある小御嶽神社の石祠 | 石碑 |
浅間神社の石碑 | 山頂 | 山頂の浅間神社石祠 |
3.逆井富士 (さかいふじ)
・ 所在地= 江戸川区平井 3-1 旧浅間神社内、周囲は駐車場。
⇒ JR総武線 平井駅 南方≒800m。
・ 築造 = 1886年築造,1966年改築。1884年再築との説も有り。
・ 塚の概算高さ≒4m。 周辺からの高さ≒4m
・ 溶岩製。
・ この富士塚は江戸川区内では最大のもので高さは約5m、江戸川区の登録有形民俗文化財。
・ 昭和四十一年七月の改修で、周囲48m、高さ1.25mのコンクリートで土止め施行。
・ 塚の頂上にある小祠には浅間神社を祀る。
・ 富士山の山開きが行われる7/1には幟を立てて祭礼を行う。
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《 逆井富士 訪問写真-1》 2012 H24.2.4
・ 諏訪神社の“平井富士塚”から南方へ約800mの場所にあるので、地図を見ながら浅間神社跡地の“逆井富士塚”に到着。
・ 四方を道路と広い駐車場に囲まれた、非常に目立った光景です。
・ 鳥居と富士塚しかない、富士塚自体が浅間神社で、奇麗な石段が目立つ。
・ 頂上には浅間神社が祀られていおり、斜面には丸岩講や山元講、丸富講の石碑がありました。
・ 昭和30年代までは石積みだったそうですが、倒壊防止のためコンクリートで覆われてしまいました。
・ 最近補修されたようで、白セメントが眩しくうき上がっていました。
・ 背面は写真の通りコンクリートののっぺりとした斜面に石が並べられているだけで、大沢崩れは再現されていませんでした。
・ ここも富士山が拝める方向が団地に阻まれているので、富士山は当然望めませんでした。
《 逆井富士 訪問写真-2》 2013 H25.7.1 | ||
富士塚全景 | 〃 | 案内板 |
正面 | 〃 | 山頂の祠 |
山頂より | 山頂より | 石碑 |
山頂の祠 | 山頂より | 〃 |
〃 | 〃 | 裏側全景 |
南東側 | 北西側 | |
《 逆井富士 訪問写真-1》 2012 H24.2.4 | ||
“逆井富士塚”全景 | 正面 | 東側面、各講の石碑 |
北東側面、各講の石碑 | 西側面 | 富士塚の裏側 |
山頂より入口方向 | 山頂 | 道路の向かい側にある“白髭神社” |
4.亀戸富士(本所富士) ( かめいどふじ、ほんじょふじ)
・ 所在地= 江東区亀戸 9-15-7 亀戸浅間神社跡地 公園内
⇒ 地下鉄 新宿線 東大島駅 北方≒800m。
・ 築造 = 1661〜1672年築造、2,001年整備。
・ 塚の概算高さ≒1.5m。 周辺からの高さ≒1.5m
・ 溶岩製。
・ 再開発で南に新しく社殿が移り元の富士塚は、再整備。
・ 1661〜1672年築造され,「本所富士」とも言う。
・ 本神社は、昭和に入って,当時高さ4m程あった富士塚の頂上部分を崩して土盛り1m程の上に,建てられたが,1997年,この地域の再開発のために本神社の境内が南隣に移動し,神社も移動した。しかしながら,富士塚は移築されず,発掘が行われ,幾つかの遺物が出土した。この元境内は整備されて公園となり,富士塚も整備されるとのこと。
・ 亀戸浅間神社は、社伝によれば大永七年(1527)に創建。
・ 祭神は木花咲耶比売命。もともとこの辺りの地は高貝洲と呼ばれていました。これは日本武尊が東征した時に海が荒れ狂ったため、弟橘媛が海に身を投じ、その際に身につけていた笄が亀戸浅間神社のあるあたりに流れ着いたことによるものです。のちに景行天皇(第一二代と伝えられる)がその地に笄塚を建てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました。
(〜 ネット情報等より )
《 亀戸富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ “逆井富士塚”の南方約400mにある“亀戸富士”へ、すぐ南隣にある旧中川に架かる人道橋の「ふれあい橋」を渡って、亀戸9丁目緑道公園を通って、亀戸浅間公園に到着。
・ 亀戸浅間公園に移設された“亀戸富士”は、申し訳程度に階段の両側に積まれてました。。
・ 1m程登った山頂は広場になっており、記念碑が埋め込まれていました。
・ 案内板に当時の富士塚の写真があり、様子を想像出来ました。
・ 隣には、浅間神社本殿等がありました。
整備された亀戸公園 | 案内標識 | 大正7年(1918)頃の不二塚(案内板の写真) |
“逆井富士塚”全景 | 逆井富士塚の東側 | 逆井富士塚 |
逆井富士塚の西側 | 〃 | 逆井富士塚山頂に埋め込まれた石碑 |
浅間神社 |
5.下鎌田富士 (しもかまたふじ)
・ 所在地= 江戸川区東瑞江 2-5-3 豊田神社内。
⇒ 地下鉄 新宿線瑞江駅 南方≒400m。
・ 築造 = 大正5年(1916) 、1924年再築。
・ 塚の概算高さ≒3m。 周辺からの高さ≒3m
・ 溶岩製。
。登山道2ケ所。大沢崩れも有。1916年築造,1924年再築。
《 下鎌田富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ “亀戸富士”訪問後、都営地下鉄新宿線の「東大島駅」へ向かって、47号線を真っ直ぐ南下、新大橋通りの大島八丁目交差点を渡って、左折すぐで東大島駅に到着。
・ 東大島駅から下り本八幡行きの電車で三つ目の“瑞江”で下車。 南口から瑞江駅西通りを約300m南下、東部区民会館入口交差点を渡って、すぐに左側にある豊田神社に到着。
・ 豊田神社境内にある“下鎌田富士”に到着。
・ “下鎌田富士塚”は本殿の左奥にあり、すぐ隣にアパートが迫っており、適当な撮影構図が得られません。
・ 緩やかな石段を約1m程登ると、中ほどに石祠があ理ましたが、他には何もありませんでした。
・ 全体がボク石(火山溶岩)で覆われており、富士山の特徴をかなり忠実に再現されてました。
豊田神社 | 〃 | 〃 |
豊田神社 | ケヤキの巨木 | “下鎌田富士塚”案内板 |
“下鎌田富士塚” | 〃 | 全景 |
“下鎌田富士塚” | 全景 | 山頂途中の石祠。 |
6.上鎌田富士 (かみかまたふじ)
・ 所在地= 江戸川区南篠崎町 2−120 天祖神社境内。
⇒ 地下鉄 新宿線瑞江駅 東方≒600m。
・ 築造 = 1916年(明治19年)築造,1958年修築。なお,1885年築造,1988年頃整備との説も。
・ 塚の概算高さ≒1.5m。 周辺からの高さ≒1.5m
・ 上部溶岩製。
《 上鎌田富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ “下鎌田富士塚”訪問後、一旦瑞江駅に戻り、駅から東約600mにある“上鎌田富士”へ移動。
・ 近道するには、東部区民会館入口交差点を東へ右折直進約800mで“上鎌田富士塚”のある“天祖神社”に到着します。
・ 南口前のバス通りを真っ直ぐ約400m東進、左側のゴルフガーデンを過ぎると“健康の道”があり、右折。
・ 親水緑道となっており、良く整備された小川が流れ、遊歩道になっており、散歩するのに非常に気持ち良い。
・ 約200m先の右側にある“天祖神社”に到着。
・ 天祖神社本殿の左奥に“上鎌田富士塚”があり、案内板が設置されてました。
・ ここもすぐ隣にアパートが迫ってました。
・ 全体的にボク石があり、頂上には浅間神社の石祠がありました。
“健康の道”入口。 | “健康の道”の水路。 | 〃 そばのミカン。 |
“天祖神社” | 〃 | 〃 |
“天祖神社” | 〃 | 狛犬 |
“上鎌田富士塚”案内板 | “上鎌田富士塚”入口 | 〃 |
“上鎌田富士塚” | 〃 頂上の石祠 |
7.神田柳森富士 (かんだやなぎもりふじ)
・ 所在地= 千代田区神田須田町 2−25 柳森神社境内
⇒ JR メトロ 秋葉原駅 南方 ≒200mm。
・ 築造 = 1838年以前に現在の神楽殿のあたりに築造、1930年再築。
・ 塚の概算高さ≒3m。 周辺からの高さ≒マイナス3m
・ 溶岩製。
・ 入口の下り階段の右側。登頂危険。
・ 千代田区に残る唯一の富士塚。 千代田区指定有形民俗文化財。
・ 柳森神社は、道路より約3m程下がった神田川沿いにある。
・ 万世橋の南、肉の万世の脇を入ってJRをくぐったところ、道路と神田川の護岸との間の一段低くなったところに柳森神社入口があり、石段を降る右側面に溶岩を積んだ“柳森富士塚”がある。
・ 柳森神社は小さい神社で、その境内にはお稲荷さん、おタヌキさん、秋葉神社など複数のご神体が御祭りしてる。
・ 柳森神社は、「長禄2年(1458)、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして数多くの柳の木を植えた際に江戸の鎮守として祀られた」もの。
・ 狭い境内の本殿前には福寿社(徳川5代将軍綱吉の母、桂昌門院が 崇拝していたものを移したとされる)という社があり、ここの「おたぬき様」と呼ばれる狸の像は「たぬき=他を抜きん出る」という意味から、勝負事や立身出世、金運向上などにご利益があるといわれている。
・ 柳森神社は、延宝八年(一六八〇)に駿河富士宮浅間神社から分祀した富士浅間神社を、合殿・合祀しました。また、『東都歳時記』には、天保期(一八三〇〜四四)ころの『富士参』の例として柳森神社があげられています。これらのことから、柳森神社は富士講に関わりが深い神社であり、富士塚なども境内に築かれてと思われています。この塚が明治時代以降何らかの埋由で一度廃れてしまい、これに対して昭和五年(一九三〇)に周辺の富士講によりあらたに富士塚が再建されました。本件の石碑群は、この時再建された富士塚の周辺に、移設あるいは設置されたと思われます。しかし戦後には富士講そのものが廃れてしまい、昭和三五年(一九六〇)に富士塚は破却されました。この際、余った黒ぼくの石を境内の東南隅に積み上げて小山を築き、この周辺に富士講石碑群を設置し直しました。こうして石碑だけが富士講の信仰の痕跡として残されることとなりました。 〜 千代田区教育委員会
・ 「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、若者達が力試しに用いたと記録されている。
古来、わが国民間信仰では石にかかわる信仰は多い。また、「力石」に於ける伝承の一つとして、「道切」説もあるが、「巨人伝説の大草鞋」同様と考えられる。
しかしこれらは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、呪い等であったようである。(疫病は道を伝って来ると信じられていた。)
この境内にある「力石」は、大正年間(1912〜1926)、当時この道の力士として有名であった神田徳三こと飯田徳三とその一派が使っていた力石の一部と伝える。
なお、江戸後期に素人の力持ち仲間で有名な者に、神田明神下の酒屋で内田屋金蔵、神田鎌倉河岸豊島屋の徳治(次)郎の二人が共に大関格であったとの記録がある。
これ等「力石」は、江戸・東京の若者たちの生活と娯楽等の一端を知るうえで貴重な資料である。 〜 千代田区教育委員会
《 神田柳森富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ “篠塚富士塚”訪問後、篠崎駅駅に戻り、上りの電車で“岩本町”で下車。
・ A3出口から地上に出て、JR秋葉原駅方向へ100m程北へ歩き、神田川の和泉橋直前を左折、50m程先の右側にある、“柳森神社”に到着。
・ 神社入口の鳥居を潜ると、下り階段となっており、石段を下ってふり返ると、階段の左側が富士塚特有の石碑が並んでおり、富士塚と確認出来ました。
・ 場所的に極狭い範囲にこじんまりと富士塚の一部分を集めた感じです。
・ 戦後廃山、崩され、その後残った溶岩と石碑を積んだようです。
・ 塚全体がボク石を積み上げたものでセメントで崩落予防をしているので、昇ることは危険。一部草木に覆われていました。
・ 関東大震災後、この道路に店が連なってでき、富士塚の上部が壊されたようで、神楽殿あたりまであったそうです。
・ 神田柳森神社の狛犬は、犬ではなく「たぬき」。
・ 左は狛たぬき、右は境内にある小さな社のたぬき像。
・ 境内には、神楽殿や本殿の他に、いくつもの小さな神社がありました。
神田柳森神社 | 〃 | 神田柳森富士塚の案内板 |
神田柳森富士塚 | 〃 | 〃 |
神田柳森富士塚 | 〃 山頂部 | 神田柳森神社境内の力石 説明板 |
8.白髭富士 (しらひげふじ)
・ 所在地= 荒川区南千住 3-28-58 石浜神社 境内
⇒ JR メトロ 南千住駅 南東方≒1100m。
・ 築造 = 1758年築造,1954年消滅。1990年代に再築。
・ 塚の概算高さ≒4m。 周辺からの高さ≒4m
・ 溶岩製。
・ 説明板には「富士山遙拝所」と記載されている。 宝暦八年(一七五八年)造営の富士信仰を象徴せる遥拝所。
・ 隅田川に架かる白鬚橋の西側に巨大なガスタンクが並んでいる。その隣にある石浜神社は神亀元年(724)に創祀されたとのこと。
・ 石浜神社は神亀元年(724)に創祀された。
・ 常磐線南千住駅から徒歩約15分、石浜神社にある。神社は宝暦8年(1758)からの歴史があり、全山ボク石の富士塚には、「富士遥拝所」とあり、下部に馬頭観音、白狐神、が祀られてあり、三猿の石碑が一対。高さ3メートル。
・ 本殿に向かって右側。柵はないが,上に登る道等は無し。
・ 頂上には「天地の照る日のもとはあしわらや、三五九一の光ならむ」先達井上誠治直正同行、と書かれた自然石が載っている。三五九一は三国一とのこと。
・ 白鬚橋西詰を北へ入った石浜神社に溶岩を積み上げた祠がある。
・ 本殿に向かって右側。柵はないが,上に登る道等はなし。
(〜 ネット情報等より )
《 白髭富士 訪問写真-1》 H24.2.4
・ “神田柳森富士塚”訪問後、秋葉原から地下鉄日比谷線に乗車、南千住で下車。東口から歩道橋を渡り、吉野通りを約200m南下、明治通り交差点(泪橋)を左折。
・ 約800m先の白髭橋西詰で、左折すると前方左側ある“白髭神社”に到着。
・ 神社入口の鳥居を潜ると、正面に本殿があり、右側の鳥居の先に“白髭富士塚”がありました。
・ 三本の鳥居を前にした溶岩の山がり、右側の一番高い山には不安定な形で大きな石碑が載り、その前には宝暦八年(1758)に建てられた「冨士山遙拝所」の碑がある。
・ 富士塚(白髭富士)とされているが、浅間神社は祀っていないようで、三猿の彫られた庚申塔が二基祀られていました。
・ 全山がボク石で崩れる危険があり、道はなく登頂不可能です。
・ 左側の山には、稲荷神社が建てられてました。
・ 訪問後、直ぐ前を流れている隅田川の土手に上がり、スカイツリーを撮影、帰路東京ガス千住整圧所のタンクとスカイツリーも撮影しました。
・ 夕日の“ダイヤモンド富士&スカイツリ”を撮影する時間となったので、隣の駅の北千住にある、“千住宮元富士”は次の機会に廻し、再び新小岩駅へ向かう。
・ スカイツリーの中間部からの輝いた太陽を撮影後、夕日の“ダイヤモンド富士&スカイツリ”を撮影、今日一日の計画をほぼ遂行、充実した一日でした。
* どうぞ ⇒ “ダイヤモンド富士&スカイツリ”をご覧ください。
【 白髭富士 】 −2 H27.5.13 撮影 | ||
石浜神社 鳥居 | 道路側 | 石浜神社本殿 |
石浜神社本殿 | 白髭富士塚 全景 | 道路側 |
白髭富士塚 標識 | 白髭富士塚 UP | |
【 白髭富士 】 −1 H24.2.4 撮影 | ||
石浜神社 | 〃 | 〃 |
手水所 | 説明板 | 石浜神社本殿 |
白髭富士塚 全景 | 白髭富士塚 山頂 | 〃 中腹 |
〃 | 東京ガス千住整圧所のタンクとスカイツリー | 白髭橋とスカイツリー |
9.南千住富士 (みなみせんじゅふじ)
・ 所在地= 荒川区南千住 6-60-1 天王素盞雄神社 境内
⇒ JR メトロ 南千住駅 北西方≒400m。
千住大橋の南、日光街道の西に面している
・ 築造 = 1865年築造。 丸龍講という富士講が、慶応元年(1865)にボク石を貼りつけて富士塚にしたとのこと。
・ 塚の概算高さ≒4m。 周辺からの高さ≒4m
・ 溶岩製。
・ 本殿の右側。正面には鳥居が有(写真は横から)。周りは柵で囲まれており,鳥居の所には太い竹棒が横に置いてあり,登山禁止となっている。
・ 瑞光石は、素盞雄神社の祭神が翁に姿をかえて降臨した奇岩といわれ、「瑞光荊石」とも称される。また、この塚を「古塚」と呼んだことか、小塚原の地名の由来をこれにもとめる説もある。(荒川区教育委員会)
。
《 南千住富士 訪問写真-1》 H24.4.5
・ 南千住駅下車、西口改札口を出て、南方へ50mで464号線。右折、400mで4号線の千住大橋南の交差点を渡り、天王前交番前を通過、直ぐに天王素盞雄神社に到着。
・ 周囲を柵で囲っており、立入禁止。
・ 四方を玉垣で囲われていたらしいので、その塊はまるででっかい盆栽のようです。
天王素盞雄神社 | 〃 | 〃 本殿 |
天王素盞雄神社 | 〃 狛犬 | 〃 |
手水所 | 南千住富士の鳥居 | 富士塚 |
〃 | 山頂、 祠 | 富士塚 |
アセビ |
10.千住宮元富士 (せんじゅみやもとふじ)
・ 所在地= 千住神社 境内
⇒ JR メトロ 北千住駅 西方≒800m。
・ 築造 = 1923年築造,その後地震で崩れ1936年再築。
・ 塚の概算高さ≒3m。 周辺からの高さ≒3m
・ 溶岩製。
・ 参道の途中の右側。 富士塚は堅牢な金網の柵の中にあり、立入禁止。
《 千住宮元富士 訪問写真-1》 H24.4.5
・ “南千住富士塚”訪問後、4号線を北上、約1,000m、20分の徒歩で千住宮元町の警察署入口交差点を左折、すぐに千住神社に到着。
・ 本殿の右手前にあるりましたが、周囲を金網で囲ってあって入れません。
・ 塚全体は見応えのある創り。登頂禁止は残念。
・ 望遠撮影で、塚を観察しました。
千住神社 | 〃 | 〃 |
富士塚碑 | 富士塚 入口 〜 三合目 | 富士塚 山頂 |
富士塚 | 富士塚 全景 | 〃 |
〃 | 〃 | 裏側 底部にあった空洞。 |
千住神社入口のクリスマスローズ |
11.上落合富士
・ 所在地= 東京都新宿区上落合1-26-19 月見岡八幡神社 境内
⇒ JRJR高田馬場駅・西 約1,200m。
・ 築造 = 1,801年築造。 1,927年上落合大塚に移築。 更に1,962年に神社の移動と共に現在地に移築。
・ 概算高さ≒4m。 周辺からの高さ≒4m
・ 溶岩製。
・ コンパクトで庭園の築山のような富士塚。
・ 境内の西南隅にあり、扉が閉じられている。神社の境内が隣接の幼稚園の運動場と兼ねているので、幼稚園の園児が外へ出ないように、また不審者が園内にはいらないようにという用心のためと思われる。
・ 月見岡八幡神社の本殿の左側には、笑福稲荷とこの宮がある。
《 月見岡八幡神社の本殿 》
→ 源義家が奥州征討の際に戦勝を祈願して参詣したと伝えられるが、創建の時期は明らかではない。古くから上落合の鎮守社として地域の信仰を集めてきた。昭和20年(1945年)の戦災で社殿などを焼失し、のちに再建された。
かつて拝殿の天井絵の一枚であった谷文晁の板絵や天明5年(1785年)に奉納された鰐口、新宿区内では最古とされる正保4年(1647年)造立の庚申塔などがあり、これらはいずれも新宿区の有形文化財に指定・登録されている。
境内には本殿や神楽殿があるほか保育園としても使われており、境内の隅のほうには富士塚がある。
(〜 ネット情報等より )
《 上落合富士 訪問写真-1》 H24.7.2
・ 高田馬場駅から西へ早稲田通りを約1km、小滝橋を渡って、約100m先の落合水再生センターバス停を右折、約100m先の道を左折した道を進むと次の道の左側に目的の月見岡八幡神社がある、八幡神社愛育園に到着。
・ 保育園にいた人にことはわって、入口表の門を開け、手水鉢に寄り、拝殿へ行参拝後、すぐ左隣奥の富士塚入口へ向い、鉄門を開けて入る。
・ 富士塚は、コンパクトで、ボク石を高く積み上げ、苔生した狭い九十九折りの登山道が山頂へ向って延びた峻厳な富士塚。下りも狭い九十九折りの登山道。
・ 垂直に切り立ったような迫力のある富士塚。 講碑は目立たず良くできた庭園の築山のような風情だった。
・ 5合目の小御嶽で、二人の天狗が並んで空を睨んた。
月見岡八幡神社 入口 鳥居 | 月見岡八幡神社 拝殿 | 手水舎 |
月見岡八幡神社 本殿 | 〃 | |
富士塚 全景 登り道 | 奥宮 | 〃 |
天狗二体 |
12.西大久保富士
・ 所在地= 東京都歌舞伎町2-17-5 稲荷鬼王神社 境内
⇒ JR新宿駅 北東方向 約900m。 西武新宿線西武新宿駅・北東約500m。 都営大江戸線東新宿 A1出口 西方約100m。
・ 築造 = 1,930年(昭和5年)築造 1,968年(昭和43年)分離。
・ 概算高さ≒2m。 周辺からの高さ≒2m
・ 溶岩製。
・ 本殿の左奥。1930年に築造されたが,1950年移築(10m),1968年(昭和43年)の社殿再建の際、二分してしまった。この富士塚はもともとは大きかったものを、昭和43年に2つに分けて作り直したもの。
・ 新宿山の手七福神の恵比寿が祭ってある鬼王神社境内の東端にある。
・ 北面に1〜4合目、南に5〜9合目と山頂の二つに別れており、各々高さ2m程度です。
・ 高さ約1.5m 鋭角型富士塚。石碑が多い。
・ 五合目、八合目と刻んだ石や、胎内、馬返しの石碑や富士山廿六夜講社関連の碑がある。
《 稲荷鬼王神社:いなりきおうじんじゃ 》
・ 全国 唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫 で守り」の授与で有名である。 熊野の鬼王権現は現存していないため、「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社となっている
皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。 境内の三島神社に祀られている恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つである。
《 茅の輪くぐり 》
・ 山開きの時に茅の輪くぐりが行われる。
・ 茅(チガヤ)を束ねてつくった大きな輪をくぐって身を祓い清めます。
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・ 花園神社にある新宿富士塚訪問後、北方約500m先にある稲荷鬼王神社境内の“西大久保富士塚”を訪問。
・ 夏を無事に過ごすための行事、“夏越しの大祓い”の期間だったので、“茅の輪くぐり”があ、作法通り行いました。
・ 富士塚は、社殿の左奥に二つ並んでありました。
・ こじんまりしており、石碑やボクがギッシリあり登れる状態ではありません。
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《 西大久保富士 訪問写真-2》 2013 H25.7.1 | ||
稲荷鬼王神社 鳥居 | 茅の輪くぐり | 雨水を利用した水琴窟〜天水琴 |
茅の輪くぐり説明 | 稲荷鬼王神社 | 境内の三島神社の恵比寿神 |
恵比寿祭り | 北西側の富士塚: 一合目から四合目 | 二合目 |
四合目 | 南東側の富士塚: 五合目から九合目・山頂 | 五合目 |
八合目 | 九合目 | 山頂 祠 |
山頂 祠 | 南東側の富士塚 全景 | 手前が5合目グループ、奥が1合目グループ。 |
《 西大久保富士 訪問写真-1》 2012 H24.7.2 | ||
茅の輪 | 茅の輪くぐり | 稲荷鬼王神社 |
北側の富士塚: 一合目から4合目 | 南側の富士塚: 五合目から九合目・山頂 | 〃 |
南側の富士塚 | 〃 | 〃 山頂の祠 |
南側の富士塚 | 〃 石碑 | 苔生した石碑 |
13.新宿富士 (しんじゅくふじ)
・ 所在地= 東京都新宿区新宿5-17-3 花園神社 境内
⇒ JR新宿駅 北東約700m
・ 築造 = 1,928年築造。 1,967年移築。 1964年新社殿造営と共に壊され,1967年境内を移動して現在地に移築。
・ 概算高さ≒1.5m。 周辺からの高さ≒1.5m
・ 溶岩製。
・ 昔は高さ約8メートル。
・ 境内の北東にあり、境内の入口付近。小さいので、見落としやすい。 高さ約1.5m位で7段の石段。
・ 芸能浅間神社とあり、芸能関係の人の参拝者が多い。 右側に 「夢は夜ひらく」の新しい石碑が設置されている。
・ 芸能浅間神社の石柱が建ち、芸能人の名前の奉納名札が並んでいる。
・ 富士塚の入り口には芸能人の名前が連なり、藤 圭子の歌碑がある。
・ 神社のHP
→ 『 「宿場町としての新宿が栄えるとともに、総鎮守として多くの人々の信仰を集めていました。安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです」』。
・ 花園神社は、新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。
・ 境内にあったお稲荷さんの後ろにも小さな富士塚がある。
・ 大和国吉野山から勧請した稲荷社が始まりで、甲州街道宿場・内藤新宿の鎮守として栄えた。しばしば火災に遭って焼失し、復興資金を集めるために芝居小屋を境内に設け人気を博した。
(〜 ネット情報等より )
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《 新宿富士 訪問写真-1》 2012 H24.7.2
・ JR新宿駅下車、東口から地下道を東へ進み、地下鉄新宿3丁目駅のB−3出口で地上へ出ると、新宿3丁目交差点、北へ次の信号を渡って約50m進んだ左側の奥が花園神社。
・ 鉄の大鳥居を潜り、まず神社にお参り。 拝殿は鮮やかな朱色、昭和40年に鉄筋コンクリート造りに更新。
・ 稲荷神社の北東側奥の隅の方に、“芸能浅間神社”があり、“新宿富士塚”がありました。
・ 芸能浅間神社の御祭神は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)。 江戸の昔から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名。 宇多田ヒカルの母親として知られる藤圭子の歌碑石碑が、このお社の隣に建っている。
・ 富士塚はこじんまりしており、小さな平石板と階段で山頂へ。
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《 新宿富士 訪問写真-2》 2013 H25.7.1 | ||
花園神社 | 社殿 | 〃 |
社殿 内部 | 〃 | 宝物殿 |
神楽殿 | 手水舎&山車庫 | 威徳稲荷神社 |
芸能浅間神社 | 芸能浅間神社 | |
新宿富士塚 全景 | 山頂の祠 | 山頂より |
山頂より | 藤 圭子の歌碑 | 芸能人の名前の奉納名札 |
二宮金次郎像 | 〃 | |
《 新宿富士 訪問写真-1》 2012 H24.7.2 | ||
神社入口(西側) | 神社入口(東側) | 社殿 |
〃 | 〃 | 絵馬 |
芸能浅間神社 | 新宿富士塚 全景 | 〃 |
新宿富士塚 全景 | 山頂の祠 | |
歌碑 | 講碑 | |
平成24年8月28日 | ||
神社 境内 | 神社入口(東側) | 社殿 |
社殿 | 〃 | 新宿富士塚 全景 |
新宿富士塚 全景 | 〃 山頂より | 山頂の祠 |
新宿富士塚 横景 | 芸能人の奉納名札 | 〃 |
14.羽田富士 (はねだふじ)
・ 所在地= 東京都大田区本羽田3-9-12 羽田神社境内
⇒ 京浜急行空港線 大鳥居駅 南方 約600m。
・ 築造 = 明治初年(1,868年)築造。 1,879年移築。
・ 塚の概算高さ≒3m。 周辺からの高さ≒3m
・ 溶岩製。
・ 本殿の左奥。2ヶ所ある石段を登ると,頂上に石祠有。正面以外は竹垣で囲われている。1834年現在の神楽殿のあたりに築造。
・ 近年まで、毎年七月一日の山開きには、この塚に羽田富士講の講員が登詣する習俗が残っていた。
昭和四十九年二月二日指定 大田区教育委員会
《 羽田富士 訪問写真-3》 H28.1.2 ・ 正月の2日に訪問しました。 ・ 有名な神社は何処も大行列です。 ・ 羽田富士塚は、崩落の危険の為、立入禁止でした。 |
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羽田神社 | 〃 | 〃 |
皿回し芸者& | 手水 | |
夫婦疑宝珠 | 〃 | 本殿 |
本殿 | 灯籠 | 本殿 |
札 | ||
羽田富士塚入口 | 羽田富士塚 | 〃 |
《 羽田空港入口 : 大鳥居 》 | ||
大鳥居 | 〃 | 鳥居札 & ハト |
《 羽田富士 訪問写真-3》 H26.7.1 ・ 山開きの7月1日に訪問しました。 ・ 茅の輪が設置されてました。 |
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羽田神社 | 〃 | 〃 |
手水 | 〃 | 〃 |
茅の輪 | 茅の輪 説明板 | 茅の輪 |
本殿 | 札 | 富士塚入口 |
富士塚案内板 | 富士塚全景 | |
富士塚 | 全景 | 山頂の祠 |
皇太子殿下御降誕記念 | 〃 | |
《 羽田富士 訪問写真-2》 H25.1.10 ・ 昨年に引き続き、今年も訪問。 正月の混雑が過ぎた頃の10日に訪問しました。 ・ 神社本来の働きを蘇らせる“印”を奉納しました。 |
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鳥居 | 手水 | 作法 |
羽田神社 本殿 | 〃 内部 | 富士塚入口 |
方位除守 | 厄年表 | |
富士講入口 | 〃 | 富士塚入口脇の講碑 |
富士塚 一合目〜四合目 石碑 | 〃 | 大黒様 |
山頂 鳥居 | 〃 | 山頂 石の祠 |
山頂から登り口方向 | 狛犬 | 〃 |
神社傍の多摩川(六郷)の夕日 | 〃 | 〃 |
《 羽田富士 訪問写真-1》 H24.6.26
・ 京浜急行羽田空港行きの空港線内の駅 “大鳥居”で下車。 産業道路に沿って南下、羽田二丁目交差点を過ぎ、駅から約500m南下した大師橋北詰の信号先右側に、大きな石の鳥居と立派な羽田神社の本殿があるので判り易い。
・ 鳥居を潜り、本殿でお参りを済ませてから、左側にある鳥居の先に目的の“羽田富士塚”がありました。
・ 風化の進んだ狭い石段を注意して登ると、左右に二合目、四合目石碑があり、すぐに頂上の石の祠が見え、潜り抜けられない低い鳥居が建っています。 右側に迂回して狭い頂上に立つ。
・ 二階位の高さから下を見まわすと、意外と高度感を感じました。
・ 頂上の祠で、お祈りした後、整備されていない狭い石の階段を足元に注意しながら下山。
・ 裏側から、写真撮影。全般的に、こじんまりしており、踏み跡などで訪問者は少ないようでした。
鳥居 | 本殿 | 本殿入口 |
〃 | 富士塚入口の鳥居 | 富士塚入口 |
富士塚 一合目〜四合目 石碑 | 〃 | 大黒様 |
狛犬 | 山頂 鳥居 | 山頂 石の祠 |
山頂から登り口方向 | 裏側 | 入口脇の講碑 |
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